ニュースの概要
最高101歳の提供者から採った血液細胞に、転写因子(=遺伝子のスイッチを操るたんぱく質)のSOX2とc-MYCを働かせ、誘導神経幹細胞へ変えた研究が報告された。変換後の細胞では、エピジェネティッククロック(=DNAの化学的な目印から生物学的な年齢を推定する指標)が示す年齢が大きく下がったという。変化は一気に起きたのではなく、50日を超える時間をかけて段階的に進んだ。さらに、細胞が分裂する速さとは切り離して若返りが起きた可能性も示された。研究者は、この時計を細胞の再プログラム化や再生医療の効果を測る物差しとして使えると見ている。ただし報告は研究段階のもので、体全体の若返りを直接示すものではない。
引用元: エピジェネティッククロックを用いた老化研究で、細胞の若返り評価が進展(Rapamycin News)
分析・見解
血液から神経幹細胞へ変えても年齢の目印が下がった意味
エピジェネティッククロックの出発点は、2013年にスティーブ・ホルバス氏が発表した方法である。DNAに付くメチル基という化学的な目印の量から、年齢を推定する。細胞を初期化する山中因子(4つの因子)でiPS細胞(=様々な細胞になれる人工の万能細胞)を作ると、この時計がほぼゼロ付近まで戻ることはよく知られている。
今回は因子が2つだけで、しかも初期化までは進めず、神経幹細胞という中間的な状態で止めている。従来、細胞の種類を直接切り替える方法では年齢の痕跡が残ると考えられてきた。高齢者の皮膚細胞から作った神経細胞が、元の年齢の性質を保つという報告もある。結果が確かなら、この常識に一石を投じる。
50日の過程と、増殖から切り離された若返りの可能性
時計の針は一晩で戻ったわけではない。50日超という長さは、年齢の目印が少しずつ書き換わる過程を示唆する。
ここで重要なのは、増殖速度と独立していた点だ。エピジェネティッククロックの一部は、細胞分裂の回数に引きずられて数値が動く。分裂が速いだけで若く見えるなら、測っているのは若さではなく忙しさになる。この懸念をある程度退けた点に価値がある。
もっとも、独立とは「可能性が示された」段階にすぎない。増殖を止めた対照群や、分裂回数をそろえた比較が次の鍵になる。50日の培養は作業の面でも重く、途中で性質がばらつけば、どの時点の細胞を評価するのかも決めにくい。
時計の数値が下がっても細胞が若返ったとは限らない
時計が下がることと、機能が回復することは別の話だ。iPS細胞で時計がゼロ近くに戻っても、それだけで若返った臓器が得られる保証にはならない。
また、多くの時計は血液など特定の組織のデータで訓練されている。神経幹細胞に当てたときの精度は、慎重に見る必要がある。複数の時計を併用し、遺伝子の働き方、ミトコンドリアの活動、DNAの傷の量といった別の指標で裏づけることが欠かせない。
若返りの測定器から、細胞製造の品質管理の道具へ
再生医療では、細胞が元の年齢のままかどうかが、治療効果や安全性に響く可能性がある。高齢の患者本人の細胞から移植用の細胞を作る場合、年齢の目印を品質試験に加える発想は現実味を帯びてきた。
一方で、c-MYCはがんに関わる遺伝子として知られ、導入の安全性が課題になる。若返った細胞を戻すなら、腫瘍にならないか、狙った細胞に育つかも同時に確かめなければならない。一つの数値に頼らず、複数の検査を束ねた合格基準を作れるかが、研究室から製造現場へ移る際の山場になる。
ビジネスへの影響
検査サービスが「若返り」と言い切れない理由
エピジェネティッククロックを使った検査キットや健診オプションを扱う事業者にとって、今回の報告は追い風であり、同時に注意点でもある。追い風は、時計が細胞実験で変化を捉えられると示された点だ。注意点は、実験室の細胞で起きた変化を、利用者の体にそのまま当てはめられない点にある。
血液の時計が下がったことを「体が若返った」と言い切る広告は、根拠の面でも表示規制の面でも危うい。景品表示法や薬機法の観点から、表現は「推定値が変化した」にとどめ、生活改善と結果の因果を断定しない文言が安全だ。レポートには、どの時計を使ったかと、同じ人でも検査ごとに数値が揺れることを明記したい。
再生医療や創薬で今から整えたい評価の組み合わせ
細胞製造や創薬に関わる企業は、年齢の目印を単独の合否基準にせず、補助指標として試験計画に入れておくとよい。具体的には、時計、遺伝子の働き方、代謝の活動、分裂回数の記録を、同じ試料で測る。こうしておけば、規制当局や投資家に説明するとき、数値が下がった理由を分けて語れる。
測定を外部に委託する場合は、同じ試料を二つの検査機関に出し、結果の一致度を確かめる予備試験を先に行う。数十検体の規模でも構わない。費用は小さく、後の手戻りを大きく減らせる。
提携や投資の判断で確かめたい三つの問い
若返り関連の研究や企業との提携を考えるときは、三点を問うとよい。第一に、時計の低下が分裂速度と切り分けられているか。第二に、年齢以外の機能の指標で裏づけがあるか。第三に、遺伝子導入に頼らない方法へ移れる見通しがあるか。
この三つに答えられない案件は、数値が派手でも事業化までの距離が長い。逆に、答えられるチームは、小さな成果でも評価に値する。